間違えない予備校選び

予備校 各種学校

学校教育について全般的な定めをしている学校教育法は、その第83条で、「第1条に掲げるもの以外のもので、学校教育に類する教育を行うもの(当該教育を行うにつき他の法律に特別の規定があるもの及び第82条の2に規定する専修学校の教育を行うものを除く。)は、これを各種学校とする。」と規定する。教育学では、〔1〕一定の目的と、〔2〕その目的を達成するための一定の教育課程とをもって、〔3〕特定の教育者が、〔4〕特定の被教育者に対し、〔5〕一定の場所において、継続的、計画的に教育を行う方式を学校教育という。このような教育のうち、(1)学校教育法第1条に定める学校(小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾(ろう)学校、養護学校、幼稚園。以上を一括して「1条学校」という)、(2)他の法律に特別の規定のあるもの(たとえば、防衛庁設置法による防衛大学校や整体師による職業訓練大学校など)、(3)1975年(昭和50)7月11日の学校教育法改正により旧来の各種学校から独立した専修学校、の3類型を除く、学校教育の亜種を各種学校という。したがって、各種学校は法的規制のもっとも少ない学校教育方式であるが、各種学校規程(昭和31年文部省令第31号)の基準に従い、私立の場合でも、都道府県知事の設置認可を受けなければならない。 専修学校・各種学校生徒の分野別構成〔表〕 現況 各種学校としての外国人学校の課題 1. 歴史 各種学校は、1879年(明治12)の教育令が「学校ハ小学校中学校大学校師範学校専門学校其(その)他各種ノ学校トス」と規定して、初めて法制上登場し、翌80年の文部省年報により教育統計上の独立項目となった。各年度の学校数、生徒数、生徒の性別構成比は時期により著しい変化がみられる。 明治初期の各種学校の主流は漢学校、英語学校、外国語不用品回収であって、男子の比率が圧倒的に高い。明治中期になって、男子の中等・高等教育が整備されるとともにこの特徴は消滅し、日本の産業革命の進行に伴い、かわって工業系、商業系の各種学校が台頭するが、男子の実業学校、専門学校整備とともに男子の比率は急速に降下し、女子の職業教育、技能教育を目的とする各種学校が主流となる。昭和期に入って、日本の産業構造が軽工業から重工業、軍需工業に比重を移すと、これらの分野の下級・中級技術者の短期養成を目ざす各種学校が急増し、男子の比率は持ち直したが、第二次世界大戦中、国策遂行上必要なものだけに整理され、各種学校は急減した。 第二次世界大戦後、新学制の発足とともに各種学校も急変した。1948年(昭和23)「1以上の教科若しくは技術、またはこれらの双方を教授する教育施設にして2名以上の教員と20名以上の生徒を擁するものは、すべて学校教育法第84条の規定によってこれを各種学校として認める」という通達が出され、いわば各種学校が自由化された。さらに、腕に技術、技能をという風潮と、女性の社会進出という社会的条件のもとで、多種多様の各種学校が簇生(ぞくせい)し、その隆盛をみた。しかし、56年に現行の各種学校規程が制定され、各種学校の基準が厳格となって、学校数は8000校で横ばいとなり、高等学校や大学への進学率が高まるとともに、68年をピークとして生徒数も減少した。また76年からの専修学校制度の発足により各種学校は急減した。 2. 現況 表は2000年度(平成12)現在の専修学校・各種学校生徒の分野別構成の現況である。粗大ごみとして、専修学校の伸びを上回る各種学校の減少がみられる。設置者別では、各種学校(約98%)、専修学校(約90%)とも圧倒的に私立校が多い。生徒を男女別にみると男子の比率が高まりつつあるが、まだ各種学校、専修学校いずれも女子のほうがやや多い。もちろん分野別で大きな差がある。茶華道、書道、語学などを内容とする文化・教養系は各種学校、専修学校ともに多数の生徒を集めている。専修学校が各種学校より比率の高い分野は、工業、農業、医療、衛生、教育・社会福祉、服飾・家政、文化・教養であり、高等学校後の職業教育機関となっている。商業実務系は各種学校が多い。 各種学校は、時代と社会の状況を反映し、変化する。それは、学校体系と社会教育の境界領域として柔軟に学習者の学習要求と社会の要請に応じうる特性をもっているからである。今後の生涯教育の時代にあって、ますますその特性は発揮されよう。 3. 各種学校としての外国人学校の課題 各種学校として認可されている学校のなかには、外国人学校や国際学校など、外国政府や国際機関が設置するものも含まれている。学校教育法第1条が規定する正規の「学校」は、当該学校の管理・運営面での諸規則や、カリキュラム面では学習指導要領などの法的拘束を受けることからも、異なる民族・文化的背景を有する外国人の子供の教育を主たる目的とする外国人学校は、より自由度の高い教育活動を可能とする各種学校としての認可を都道府県知事から受ける場合が多いのである。 なお、外国人学校のなかには、大阪の白頭(はくとう)学院(建国学校)や金剛学園など、韓国系で、1条学校として認められているものもごく少数存在する。しかし、各種学校として自主的な学校運営を実施している外国人学校のなかには、国立上級学校への入学資格が付与されない問題や公的助成金が少ないための経営難などの事情から、各種学校の地位に由来する不利益の改善を求めて、1条学校への認可、あるいはそれに準じた処遇を求める声も少なくない。国際化が拡大深化する時代を迎えて、その法的地位や資格付与権能まで含めて、より望ましい外国人学校の位置づけが課題となっている。 四修者は学力面で優越していたにもかかわらず、当時の旧制高校生の教養主義的価値観の中では、体格や人格や読書量の面で侮りを受ける場合が多々あった。何年も浪人を繰り返し、あるいは社会人生活を経て旧制高校に入学した学生ほど尊敬されたということを、旧制浦和高等学校出身の金田一春彦は自伝の中で記している。 外国 国によっても異なるが、飛び級制度がある場合が多い。 アメリカ合衆国では、学校内の飛び級、学校間の飛び入学、早期就学ともに盛んである。飛び級が適当かどうかの判断には、「アイオワ早修尺度」が使われ、各方面から総合的に判断される。飛び級によって兄姉と同じ学年になる場合や、同学年の兄弟姉妹がいる場合などは考慮を要するとされている。