今日、一般にいわれている学習塾とは、学校教育、社会教育といった公教育制度以外の、しかも家庭教育を除いた設置許可を前提としない私的教育機関を意味する。範囲と類型としては、有名校への進学を目的とした進学塾、学校教育の補習などの学習塾、両者の機能をあわせもつ総合学習塾、不登校児・生徒を対象としたフリースペース的な学習塾などがある。そのほかに、技能習熟の役割をもつそろばん、習字、水泳などのためのもの、また、いわゆるお稽古(けいこ)事にかかわるピアノ、バレエなどのもの、さらには就職試験準備のための塾などがあるが、狭義にはこれらは学習塾の概念には含まれない。学習塾に通う児童の高学年化とともに、これらは学習塾にとってかわられている。以上のように学習塾は、進学のための学校教育強化機能、学校教育内容の理解不足を補うための補充機能、さらには学校・地域・家庭教育で補えない教育のための代行機能をそれぞれもつ。 1. 実態 現代の学習塾は、明治以降の近代化政策のもとで、人材登用のルートとして学校教育の選抜機能が顕在化するにしたがい、学校教育の強化ないしは代行機能としての役割を担ってきた。たとえば、住宅ローンにおいては、選抜の厳しかった府立、県立の旧制中学入試のための塾が代表的で、規模にしても少人数型のものが多かった。旧制高等学校受験のための予備校とは明らかに区別され、塾は表面には出ない存在だったといえる。 学習塾が社会問題にされ始めたのは、第二次世界大戦後の昭和30年代後半以降で、消費者金融は高学歴化に伴い、全国的に発達をみた。当初は、高等学校入試準備が多かったが、年を追うにしたがい、塾に通う年齢も低くなり、中学校入試や小学生の補習のための塾も誕生してきた。昭和50年代後半には、「受験戦争」や「受験地獄」に伴って、有名進学塾に入るための塾も出現するという過熱現象もみられるようになった。平成以降は、中央と地方の塾の系列校化や、大手学習塾のフランチャイズ・チェーン(FC)方式による衛星授業方式の導入などが展開され、設置形態や学習内容の多様化・M&A・分業化などの市場戦略によって、いまや学習塾は9000億円の教育産業に発展したともいわれる。しかし他方では、18歳人口の減少、少子化社会の到来と相まって、学習塾の児童・生徒、とりわけ高学力児の確保と生存競争はいっそうCFDしている。 学習塾の実態に関する正確な数字も、文部科学省の全国調査によってしだいに明らかにされてきている。もっとも大規模な調査は当時の文部省による1976年(昭和51)、85年(昭和60)、93年(平成5)の全国調査である。1993年の調査によれば、全国平均の通塾率は小学生23.6%、中学生59.5%で、とくに小学校6年生では41.7%(1976年時点26.6%)、中学校3年生では67.1%(同37.4%)に達し、塾通いの過熱が全国的に進行すると同時に、学校と塾のダブルスクールが子供の生活の一部として定着している。 2. 学習塾の功罪 こうした学習塾の実態は、現在の学歴社会への警告となると同時に、ある面では学校教育自体にも問題があることを示唆する結果となった。その背景には、学習塾への児童・生徒の心理的一体化と丁寧な指導による学習(教育)効果の向上、親の学校や塾に対する考え方の変化がある。文部省はこうした実態を受けて、1994年6月に学習塾団体との会合をもったが、「過熱か否か」をめぐって平行線で終わり、学習塾の認知には至らなかった。しかし他方では、大手学習塾(予備校)と高校および大学との連携が、授業や講師派遣、入試業務などにおいて進行してきた。文部省は1999年度の生涯学習審議会の答申を受けて、学習塾の「条件付き承認」に踏み切り、学習塾・学校・地域の三者連携を促進するため、塾経営者・学校教師・親らが協議する場の設置を決めた。その目的は、学習塾のカリキュラムに多様な体験学習などを盛り込み、地域や学校との連携を図ることにある。しかし、塾業界には「行政介入や規制につながるのでは」と警戒する声も強い。元来、文部省の規制を受けない自由な学習機関として考えられてきた大手学習塾は、実態としてはすでに公教育とくに高等教育機関(私立大学)の改革と相まって、学習(教育)やAO入試(アドミッション・オフィス入試、学力以外の面を総合的に考慮して選抜を行う試験制度)などでそれら高等教育機関との連携を深めてきており、そのあり方が問われている。また塾の本質は、学習者の学習意欲を基本とする、教授する側と習う側との緊密な教育的紐帯(ちゅうたい)にあり、両者の精神的関係が優先される。このようなわが国の塾教育の独自性からみても、真の塾の復権が望まれる。それと同時にこれらは幼稚園から高等教育までの公教育のあり方自体とも関わっている。いずれにしても教育の市場化という事態を踏まえて、両者の教育的な枠組みの再構築が要請されている。 公立大学の選抜方法も基本的には国立大学に準じている。ただし、国立大学に比べると課す教科数を減少させて4教科以下で受験できる大学が比較的多く見られる。 国公立大学の個別学力検査は一般的に分離・分割方式と呼ばれる制度で実施される。すなわち、同じ大学での個別学力検査を前期日程と後期日程に「分離」し、同じ学部(学科)の定員をそれぞれの日程で「分割」する方式である。(国際教養大学は分離・分割方式に参加せず別日程で実施) 前期日程では2〜3教科(4教科を課す大学もある)、後期日程では1〜2教科の学科試験を課すのが主流である。後期日程では、小論文や面接などを課す大学も多い。また、公立大学のごく一部の学部(学科)では中期日程という形で個別学力検査を行うところもある。したがって、この中期日程を含めれば、前期・中期・後期と国公立大学を最大3校受験できることになる。 同じ日程で複数の国公立大学を受験することは(個別学力検査の実施日が異なっていても)できない。さらに、前期日程で合格し入学手続きを行うと、中期・後期日程の大学には個別学力検査を受けても合格対象から外される。定員配分も多くの大学において前期日程に圧倒的に多く配分しているため、制度上複数回受験することができるものの、実際には定員留保二次募集式である。 国立大学入試のあり方について指針等を作成している国立大学協会は、後期日程分の定員を推薦入試やAO入試などに分配することを条件に、2006年度入試から一般入試を前期日程に一本化することを認める見解を2003年に決定した。もともと国公立大学が分離・分割方式を採用した目的は、学力だけでは測れない有能な人材の確保であった。ところが前述のとおり、後期日程は前期日程の敗者復活戦という意味合いが強く、同じ大学の前期日程と後期日程を併願する受験生が多い[要出典]。このことから当初の目的を果たして達成できているのかを疑問視する声もあった。これらのことを受けて、後期日程の漸次廃止や大幅な定員減を行う大学が年々増えており、今後、後期日程の規模はますます縮小していくものと見られる。